祝福の井戸


~Story~

20163月に創世記から始まった聖書全体のメッセージの御言葉を、祈りの家で主に祈り聞く中で与えられました。

「賛美歌」といえば、私たちが神に向かって歌うもの、と私たちの多くはきっと思っているでしょう。けれども、ゼパニヤ書3:17に「主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」とあるように、むしろ天の父は私に歌ってくださっている祝福の歌を優しく聞かせてくださるのです。

1節)は「祝福の井戸を掘り直す」という創世記26章のメッセージと共に与えられました。父アブラハムの掘った井戸がペリシテ人にふさがれても、天の父の祝福の約束を信じて、決して争わず何度でも井戸を掘り直すイサク。「あなたを祝福しよう。罪のゆえに呪われたこの地を祝福で満たし回復するために!」と呼ばれる主に応え、「夫婦・親子・兄弟で祝福しあい、命の泉の井戸を掘り直す神の家族となり、私も家族と町と国を主イエスが戻られるまで祝福し続けます!」という歌です。

2節)は、出エジプト前半の「主の安息に入る」という棕櫚の主日のメッセージと共に主がくださいました。エジプトでのイスラエルの民同様、世の忙しさに疲れ果てている私たちに「あなたを救い出そう。一緒に連れて帰ろう。安息の地へ。」と呼びかけてくださる主に、「私も家族と共に主の御前で休み憩い楽しむ永遠の命を受け取ります!」と応える歌です。

3節)は、出エジプト後半の「天から地へのコピー&ペースト」という復活祭のメッセージ。いよいよ幕屋を作り神と共に住む民に「あなたの中に住み、一緒に会って語ろう!天の聖さがあふれるこの地で。」と呼びかける主に向かって、「家族で主を仰ぎ見る心からの礼拝をささげ、私も神と共に住み、御声に聞き従います!」という歌です。

4節)は「聖い主が喜ぶささげものとなる」というレビ記のメッセージ。「愛するわたしの子よ。あなたをわたしのように聖く保ちたい!罪汚れ傷の無いわが似姿よ。」と呼ばれる主に、「家族で悔い改め、安息日も家や職場も身も物も自分自身も主にささげて、聖なる父の神の子となろう!」と応える歌です。

5節)は「荒野で親子の愛を知る」という民数記前半のメッセージから。「何もない荒野で父を知るために、毎日あなたにマナを降らそう!」という主に「家族と共に命のパン=主イェスの御言葉を毎日食べ、私も永遠に生きる約束の地=永遠の命を目指します!」と告白する歌です。

 6節)は、民数記後半「主が口に置かれる御言葉だけを」のメッセージと共に与えられた歌です。

 


田坂元彦